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鮮やかないろいろ エンタメ感想が主

おかえり、と言いたくなるエンターテイメントがあるということ

終わっちゃう…終わっちゃうよぉ…嫌だよぉ…と毎日クソ重感情をぶつけながら見ていた朝ドラ『おかえりモネ』が大円団で最終回を迎えました。


久々に1話から完走した朝ドラだったのですが、本当に(安っぽい言葉で申し訳ないのですが)良いドラマで。改めて感謝の気持ちを伝えたいな、ということからブログを書いています。


私にとって『おかえりモネ』は、写鏡のような朝ドラでした。時に液晶の向こう側から「お前はどうなんだ」と心の深淵をぐわっと覗き込まれているようで、しんっっっっど!!!ってなったり、ゲラゲラ笑ったり顔ぐちゃぐちゃになる程泣いたり、15分という時間でこれだけ心を揺り動かされることってあるんですかね…ってくらい情緒を乱されておりました。笑


モネは大きな括りで見ると被災者、だけどグラデーションをつけると津波を見たり大切な人を失ったりした当事者ではない。彼女は「循環」の性質を持って「水」がモチーフだということはガイドブックなどでも語られていますが、まさに視聴者にとってもそうで、水面に映る自身を見るように、全てのエピソードがfor meだ、とはならなくても、これはわたしのことだ、と思えたり、過去の経験を思い出すようなことが作中で多々ありました。改めて、おかえりモネを作ってくれた全ての方々、本当にありがとうございます。(激重感情)以下はこういうところが好きだよ!という、オタクの拡大解釈です。(読まなくていいです)


・時間の描かれ方
モネで描かれる「時間の捉え方」がとても好きでした。5年って長いですかね、という新次さんの立ち直らないぞという台詞、菅波先生のさまざまな時間制限(これは医者という有限である命を延ばすということを仕事にしている人だからのアレですよね)、サヤカさんの「ゆっくりでいい」と木に語りかける言葉…。その人に流れる時間の大切さや捉え方はそれぞれ違って良い、というメッセージだと解釈していますが、単純に「時間が経ったら全て解決する」というわけでなく、「来るべきが来ないと話せないし解決もしない」という落としどころなのが、人生においても本当にそうで、つい結果が出ないモネのように焦りがちだけど 笑 長い目で大きな心で時間を捉えることの大切さを、たった15分×120話の中で教えてもらった気がします。そして最終回の時間の描かれ方は本当に…私たちへのメッセージでしたね。先生のトンチキさに笑いながらも希望を持たせてくれてありがとう…。


・名前が表すもの
個人的にずーっとおかえりモネは千と千尋の神隠しみたいだな、と思っていて(夏木マリさんが出ているからというのはさておき) 、特にずっと百音がモモネではなくモネだったことが気になっていました。最終週でモネはモモネ+お姉ちゃんという姉属性を含んだ名前だったと知って震えましたね…まさかそっちか…って。モネであることによってどこに行っても地元の呪縛のようなものから逃げられなかった彼女が、最終的に百音さん、と呼ぶ男に出会って少しずつ呪いが解けていったんですよね…。愛…。(曲解)
ちなみに劇中ではりょーちんがみーちゃんにより亮くんになり、神野マリアンナ莉子は仕事のカタルシスにより神野莉子を名乗るようになりますが、こういう細かい書き込みがものすごーく好きでした。

 


ちなみに、千と千尋の神隠しのように自己のアイデンティティを確立すること=おかえり、だと思っていたのですが、「おかえり」と言って「いってらっしゃい」と言える、「循環」を促す人でありたい、というのがおかえりモネの真髄だったのですね。おかえりが言える人でありたい、というモネの願いは地域コミュニティという少し大きめの単位に匹敵するかな、と思うのですが、因数分解していくとそれは家族という単位にも、もしかしたら個人にも当てはまる話で、日々の循環の中で未来を紡いでいくのは、きっと大袈裟なことではなくて日常生活の端々に存在しているのだろう、と私は思っています。


液晶の向こう側のエンターテイメントである「おかえりモネ」が私たちに「おかえり!」と明るく迎えてくれるような、そんな未来をずっとずっと望んでいます。そして私たちもいつか、おかえり、って言える日が来ますように。