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鮮やかないろいろ エンタメ感想が主

インターネットの友人たちの話

インターネット、という世界に片足突っ込んで十数年が経とうとしている。元来の自身のオタク気質と父親が割とネットに明るい人間だったというところから、お絵描き掲示板や自作HP、コミュニティサイトや某巨大掲示板含め、比較的小さい時からネットで人と交流していたが、「インターネットの中にいる人」と実際にお会いするようになったのはTwitterを始め、社会人になった頃だったと思う。10代の頃は「ネットは怖いところ」と叩き込まれていたし、ネットで知り合った人と会うだなんて思いつきもしなかった。中学生の時、幼なじみがネットで知り合った人と遊んだと聞いた時、なんて恐ろしいことをしているんだ!と恐怖に慄いた事をはっきりと覚えている。おそらく相手は成人男性だったようなので、次からは会わない方がいいよ、とおせっかいを言ったのも記憶しているが、まさか数年後自分がそこそこの頻度で「オフ会」と称されるものだったりそうでなかったりする集まりで色々な人と出会っていると知ったら、思春期のわたしはどう感じただろうか。

ネットを介して出会う人は様々であるが、基本的には「趣味が同じ」(わたしの場合、二次創作のCP沼が同じ)というきっかけが多い。(ちなみに育児垢界隈だとオフ会のハードルが結構下がるのはやはり子というコンテンツがあるからかしら、と思っている。あまり表現は良くないが) 複数人で会うこともあれば1on1のこともあり。数回お会いしたことのある方もいれば一回会ったきり、の方もいる。ただ、複数回お会いしていくと、(そういえばこの方と知り合ったきっかけってなんだっけ…?)となるくらい共通項が多かったり、逆に全く違う方向を向いていたりするのが面白い。

もう一つ面白いなぁ、と思うのが、自分の人生の一部がたまたまインターネットの、Twitterという媒体を通して他の人の人生と交わっているところで、肩書きも住んでいるところも年齢も違う人と生身で話している時、自分がTwitterのアカウントのアバターになったかのような感覚にさえ陥る。そんな現実と虚構が入り混じったかのような、不思議な感覚を過ごした後でまたインターネット上でコミュニケーションをとったりするのだけれど、やはり泡沫の世界なので、それきりネットでもお会いできなくなったりすることもある。たまにふらっと帰ってきたり、運が良ければまた違うジャンルでばったりお会いしたりと様々なのだけれど、大概はなかなかお会いできないことが多い。個人的には、インターネットは自由選択の世界だと思っているので、寂しいと言う権利はないかな、と思っているのだけれど、時々お会いした方の今の人生に想いを馳せる夜があったりもする。あの頃、あの人は結婚したばかりだったけど、そういえばその後どうかしら、とか、一緒にライブに行ったアーティストの新譜を聞いて、あの人はどう思っているかしら、等々。気持ち悪い、と言われるかもしれないけれど、そこは目を瞑ってアホだな、と笑って欲しい。

時々、インターネットの交流にも年賀状の文化があればいいのにな、と思う。最近はお見かけしないけれど、今こんなことしてるよ、と年一回くらいは報告を送ったり貰ったりできるような。「そっか、じゃあまたね」と、波の狭間で手旗信号を送りあえるような。ひとり、知り合った素敵な方がそういうことをたまに送ってくれるのだけれど、わたしはいつもその信号を大事に大事に、まるで無人島に漂着した手紙のように眺めているのであった。