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鮮やかないろいろ エンタメ感想が主

日常を蝕まれる話

生協の定期便で頼んでいるヨーグルトドリンクが届かなかった。

ただそれだけのことである。文にするとたった一行だが、なんか疲れたな、と思うトリガーには充分だった。ちなみにそのヨーグルトドリンクは鉄分補給のために妊娠中からかかさず飲んでいて、いわゆるモーニングルーティン的に自分の中で組み込まれているシロモノである。

頭をよぎったのは、明日の朝どうしようかな(まぁなくても我慢はできるのだけれども)ということと、近くのスーパーに買いに行くのめんどうだなぁ、ということで、乳児のいる今、できるだけ外出回数を減らしたりしているのになぁ、というぼやきである。

スーパーではビニールの壁の向こうに、マスクとビニール手袋をはめた店員さんがいて、そういう姿ももう1週間くらいみているからかなり日常の一コマになりつつあるんだけど、いやいやこれを日常として受け入れたら完璧にダメだよな、と脳のどこかで誰かが警鐘を鳴らしている。そして、そういう完全防備と対策をしている人の、仕事を増やしてしまって申し訳ないなぁ、と思いながらカゴを出して、なんとか食料を購入したりする。買えたり買えなかったりする食材や調味料もあったりして、棚がぽっかりと空いている様を見ていると、非日常感と虚無感の折り混ざった気持ちになったりする。

そういえばホットケーキミックスが欠品してる、ってネットで見たなぁ、今は仕方ないよね、と思って気持ちに折り合いをつけたりしているのだけれど、なぜこちらが折り合いをつけなければいけないのか。憤りを感じるレベルが低すぎるでしょ、みんなもっと頑張っているわよ、と言われるとそれまでなのだけれど、なんというか育休中の、社会と半断絶されてるような三十路でもこれなのだ。今、社会活動に貢献している数多の人はもっと憤りを、もしかしたら諦めを腹の底に飼い殺しているのかもしれない。じゃあ誰が一番しんどくてつらいのか、というグラデーションをつける行為は意味がないし、さらさらする気もないのだけれど。

なんというか、完璧に非日常を通り越して、日常を蝕もうとしている目に見えない敵と、それに伴って引っ剥がされて出てきた見ないでよかった悪意たちに、わたしはほとほと疲れてきたのかもしれない。疲れたら、疲れた〜といって大の字になれる、そんな社会に早くなって欲しいものだ。