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鮮やかないろいろ エンタメ感想が主

THE FIRST SLAMDUNK 感想 〜夢女の血には抗えない〜

『THE FIRST SLAMDUNK』を観ました。まぁまぁな年数オタクなわたしは、高校生の頃このジャンルの夢女だったのですが、まさか令和の今新規供給があるとは…。ジャンルにいた頃って神奈川でやってた黒板アート展ももう終わっていて、ほぼなんの新規供給もなかったんですよね。なので満を持してって感じではあるのですが、公開直前まではまぁタイミングが合えば見に行くか〜くらいのノリでした。が、本当に観に行ってよかった……誕生日にフリーデーを貰って観に行ったのですが、まぁまぁ良い歳になった子持ちのくせして、元カレに会いに行くような気持ちでした。

 

以下ネタバレを含む感想です。

 

・全体的な感想

 イノタケ先生このパターンでどんどん作りましょう。SecondもThirdも作ってぇぇ…とのたうち回っちゃった…。このパターンならどの登場人物の何でも掘り下げられるね?!天才のメソッドでは?!と興奮した。

 本作は山王戦を軸にしてりょーちんを主人公にした作品で、過去エピソードとかを織り交ぜながら作られているのですが、主軸となるりょーちんの生い立ちが完全にイノタケ節。イノタケ先生の作家性をガンガンに感じてすごく良かったので、スラムダンクミリしらだけどイノタケ先生好き(そんな人いんのか?)も楽しめると思いました。逆にミリしらの人連れて行って感想を聞きたくなってきたな…。

 スラムダンクは何回読み返したかわからないので山王戦の展開も勿論わかってるんですが、なぜこうも手に汗握る展開なんだろう…。すごくドキドキしたし後半は泣いてました。隣のお姉さんがゴリのフリースローの時祈ってて、ワカルゥ…となりました。なんというか世紀の名試合を映像化してくれてありがとう…ありがとう…という気持ちでいっぱいになっちゃった。

 公開直前、声優交代とかあまりにも情報規制された広報とかで結構批判されてたけど、わたしは基本的に何においても創作主の信者なので、イノタケ先生なんてもう仕事なんかしなくても生活できるのにわざわざこれを心身注いで作ってくださったんよ…本当にありがとう…となってしまいました(怖)

  原作で名シーンと言われるところはテンポの都合上か所々カットされてましたが、わたし的には特に気になりませんでした。声優についても同じで、アニメ版にも(一通り全部見たけど)そこまで思い入れがないからかもしれない…

   なんというか今映画って結構ミドル層をターゲットにしたものがガンガン公開されてて、トップガンはじめ「あの頃はよかったよね〜」ってなる懐古厨的な機能を果たしつつあるのかなとよく思うのですが、本作は懐古しつつ新しさを見せてくれるところがまさにFIRSTでした。主題歌もエンディングも全く知らないアーティストの曲だったけどすごい良かった。なんというか、たぶん昔の主題歌たちを使ったらそれはそれで良かったしやっぱこれよねってなる人がたくさんいたと思うんだけど、新しい風になるような曲を使うことで「彼らはまだ高校生なんだ」って思わせてくれるフレッシュさがありました。劇伴もよかったな〜。バスケットボールがコートで擦れる音とか雨音とかかなりこだわっているのでは。臨場感ありました。

 

・キャラクターについて

 りょーちんの妹という夢女の憧れポジが概念化しちゃった…本当にいた……と震えました。どう考えてもあの妹になりたすぎるでしょ。宮城って名前しかり沖縄にルーツがあるのなんか良いですね。りょーちんが兄と妹がいる真ん中っ子なのすごい納得感がありました。PGって視野が広いバランサーのイメージなんですけど、真ん中っ子って凄いその感じありません…?(偏見of偏見) 原作ではちょっとしたシャワーシーンくらいしかプライベートな描写のなかったりょーちんを知れて嬉しかったです。ちなみにラストシーン(アメリカで沢北と試合するシーン)については、りょーちんの概念?みたいな認識でいるんですけどあれ本当のりょーちんなの??あの記者さんは原作にも出てた人かな…?

 わたしはどうしてもミッチーに対して、ミッチー(笑)ってなってしまうのですが、今作でもミッチー(笑)ってなってしまいました いやミッチーのカッコイイシーンあったんですけど、(中1の宮城とマッチアップしてくれるシーン、めちゃくちゃさわやかイケメンでしたよね。でも中学時代の髪型と違う…?)あとはずっとミッチー(笑)でした。いやほんとにあんたいい奴だよ、あれだけボコられて恥ずかしい思いしてもずっとバスケが好きなんだよな…と思ってしまった。彼の泥臭さがなんかちょっと可愛いなとなってしまいました

 個人的にびっくりした&刺さったのが赤木で、大人になってから見ると赤木ってすごく高校生らしいキャラだったんだなって…優等生でストイックが故の孤独みたいな描写に初めて共感したかも。

 花道、流川に関してはずっと原作でやってたもんね…ってなりつつ、流川がいちいち顔が良くて「顔が良い…」ってなっちゃった あと花道は原作通りの花道なんだけど全体的なトーンから違和感なく(漫画の主人公なんだけど漫画の主人公すぎず)そこもよかったです。

 アヤちゃんが爆イケ美女でびっくりしちゃった あれは全員惚れるでしょ…??晴子さんも可愛かったですがとにかくアヤちゃんの美人度がすさまじかった。そりゃりょーちん惚れるよね

 安西先生、アニメ版より「昔鬼監督だった」感があってすごくよかった ただ温厚なだけじゃなくて一本筋が通っていて厳しかった人なんだなっていう人物造形が伝わる声の芝居だと思ったので、個人的声優MVPは安西先生の声優さんです

 魚住・海南チームなどなどモブっぽく映る面々にいちいちニヤニヤしてたのですが、豊玉の岸本が映ったシーンが一番ニヤニヤしちゃった 岸本…!お前そこにいたのか…!!南は?!?!って画面を凝らしてみたけどカメラが動いてくれませんでした(やべえ女) 南の元夢女として諦められなかった……豊玉勢、アニメでもモブっぽくちょっと出てくるだけだったからな……このFIRSTの手法でTHE FIRST TOYOTAMAやってくれませんか先生……お願いします……

 

・最後に

 冒頭で晴子さんが「ドシロートの桜木」が出場することに対して「親になった気分だわ…」と言う台詞があるのですが、わたしも最初冒頭はその気持ちになるかな?と思ってたんですよ。主軸もりょーちんとお母さんの話だったし。でも全編を通して、どうしても夢女の血には逆らえませんでした。まだ彼らにはお母さん目線じゃなくて彼女目線になってしまいますね…。でもこれが公開されたのがジャンルにいた高校生の頃じゃなくて大人になって自由の効く今でよかったな、としみじみ思います。元彼たちかっこよすぎました。いつも輝いていたね 少年のまま 瞳はマイフレンドでした…(言いたいだけ) とりあえずオタクは原作漫画との整合性を確認したいので暫く読み返したいと思います!

 

すずめの戸締まり感想〜Life Goes on, but it can be sweet

 『すずめの戸締まり』をようやく鑑賞してきました。そこまで新海作品に思い入れなく、公開されるんだフーン…くらいのノリだったんですけど、TLのフォロワーさんたちがどんどん陥落しており美味しい男女センサーが反応したということと、「ベイビークラブシアター」といって子連れでも映画が見れるサービスが再開した&上映作品がドンピシャでそれだったということもあり、もうこりゃ見に行くっしょ!と足を運びました。

※余談ですがトーホーシネマズさんのベイビークラブシアターはとても良いサービスだと思うので今後も継続してほしい…!2019年はコロナ前ということもあり、アナ雪2とかスターウォーズep.9など結構色々見に行きました。前サービスはママズクラブシアターという名前だったのですが、3年ぶりに使ったら男性育休の取得も増えているからかアカチャン連れのパパも結構多くて感動しました。名称変更したのも納得(?)

 

以下ネタバレありの感想文です。

 

・これはハートじゃなくて理屈で見る新海誠

 新海作品は「君の名は。」と「天気の子」しか履修してないニワカなのですが、割と主人公含む登場人物の行動原理が曖昧…というか、「世界が破滅しようとも君が好きだから僕はこうする」みたいな、エーーッその選択するッ…?!って動揺するところにとりあえず理屈じゃねえんだ心で見ろ!!!って映像美と共にぶち込まれるイメージで、いわゆるそういう作家性なのかなと個人的には思っています。

「すずめの戸締り」については割とハートの部分よりも理屈が勝っているな〜と思っていて、主人公の行動原理もよくわかるしストーリーの流れも納得感があった。たとえば宮崎〜愛媛〜神戸〜東京〜東北(岩手かな?)の旅程も、西側の人間なのでああ〜そっからそういくならフェリー・車・新幹線やわな〜と思ったし、今の時代スマートフォンひとつあれば大体なんでもできるもんね…と思った。でも多分、「君の名は。」が公開された2016年だったら電子マネーがそこまで普及されてないから、これは今のご時世だから作れた映画なのかもなと思ったり。田舎の女子高生(未成年)にも格差なく機動力を与えるスマートフォン、すごい。

(一方でこれは余談なのですが、親としての目線で考えると、子にスマートフォンを安易に持たせるの怖ェ〜!と思った)

 理屈で見る、の部分で言うと、今回の登場人物の造形がファンタジーでもあり一本筋が通っているなぁと思うところが多くて、余白を残しながら受け手に想像させる厚みみたいなのを感じました。すずめちゃんは後述しますが、草太さんは寝起きの悪さとか二万円貸したことを忘れてたりとかするのを見てると結構生活力なさそうというか、ローソンの店員さんのリアクションなどから推察するに割と世話してもらうタイプの人なんだろうな〜とか、環さんが地方の漁業組合?が何かで40代にして総務とはいえ部長職なのはかなり仕事できるタイプで、男社会でもパリッと生きてきた人なんだろうな〜と思ったし、芹澤はシルバーアクセとスカルってちょっとダサ…否、個性的なファッションとボロめの車保有してるのから考えて都内じゃなくてちょっと田舎、もしくは地方の出なのかな〜とか。バリバリの都内育ち立教男子だったらあの仕上がりにはならなさそうだし草太と仲良くなったのもなんかストーリーが見えるなって…(偏見オブ偏見) あとなんとなく気質的におばあちゃん子な気がする。(ちなみに立教に教育学部ってない…よね??)一回見ただけで関連情報なんも追ってないので全部想像なんですけど、まぁ当たりハズレはあろうともこういう人なのかなって想像させる余地が多いのが良かったです。あとルミさんが愛媛に地元があって神戸に根付いてるの結構納得感あるというか、割と神戸って四国から出てきて根付いた人結構いるイメージなんですよね。(私の狭い世界での観測なので統計とか見てないのでアレなんですが)ちなみに廃墟になった遊園地で真っ先に思い出したのは昔ポートピアランドという海の埋立地にあった遊園地で、(作中では山の立地だったんですけど)ジェットコースターとか乗ったな〜、とぼんやり思っていました。観覧車のシーン美しくて良かったですね。

 

・「すずめ」の手当について

 主人公のすずめちゃんが東京で戸締まりに失敗してボロボロになった後に自分を手当するシーンがすごく好きです。一番最初に草太さんと出会った後に怪我をしている彼を手当てしながら、慣れてるねって言われた時に母親が看護師だったから、って言うシーンがあると思うんですけど、彼女は他人にも自分にもきちんと手当できる人で、傷をしっかり見て消毒してガーゼを貼り包帯を巻ける。フィジカルな面では出来ているはずなのに、被災した後の心の傷にはずっと蓋をしてきたわけで、それにきちんと向き合うぞという覚悟を感じるシーンでした。一方で草太さんは自分の傷を蔑ろにしがち…というか、芹澤の言葉を借りると自分を大切にしない人だと思うんだけど、すずめがそこに踏み込んで救い出すというのもいいなーと。つまり冒頭で手当しているシーンでもうこの二人はそうなることが必然だったんですよね…。新海作品は自己犠牲かつ献身的な女子が主人公になりがちなイメージなんですけど、すずめちゃんは手当=ケアできる人ながらそういうところがなかったのが個人的には好ましかったです。単なるケアする女性として描かれてなかった。

 

・でも人生は続くし、その人生は輝かしくもなるという作品メッセージ

 この作品ってすずめが小すずめに常世で伝えた言葉がメインテーマというか作品メッセージだと思うんですけど、これがすごく良かったです。震災を扱った作品って本当にたくさんあって、その前後の悲劇やそこで受けたトラウマにどう向き合っていくか、みたいなのがメインテーマなことが多いと思うんですけど、なんというかその一部分だけではなくて、震災が終わった後も人生って続くよなぁと常々思っていて。私自身も、程度は軽いながらすずめと同じくらいの時に阪神淡路大震災で被災しているのだけれど、地震当日や被災直後のこと以上に、その後もずっと続く生活に影響があったなと感じています。なのでその「ずっと続く人生」にどう向き合うか、という一つのアンサーが2021年度前期朝ドラのおかえりモネだと思っているんですけど(唐突にぶち込まれる推しドラマ)本作もその一つだったなぁと思います。生きている限り人生は続くし子どもは大きくなる。愛されて愛して光の中で生きていける未来もある、というメッセージが好きだな、と思いました。

※この感想ブログのタイトルを決める時に、それってOn the Sunny side of the Street やん…稔さぁん!!(2021年度後期朝ドラ・カムカムエヴリバディ)となってしまったのでit can be so sweetをつけました。るいちゃんも出てたしね(?)

 エンドロールが終わって、良かったなぁ〜と余韻を噛み締めつつ、劇場を出てすぐにすずめの戸締まりのポスターが貼ってあったのでぼんやり見てたんですけど、ポスターのあおりに「いってきます」って書いてるんですよね。映画の最後の台詞が「おかえりなさい」だったので、ここに繋がってたんか…!と思うと同時に、あの日いってきますって言ったけどおかえりなさいって言われなかった人も沢山いたわけで、(最後の女性の声、すずめちゃんのお母さんですよね?) 「すずめの戸締まり」ってタイトルが素晴らしいなと。すずめって漢字で書いたら鈴芽なんですけど、作品タイトルであえて平仮名のすずめにして鳥の雀を彷彿とさせるのは、日本全国どこにでも普遍的にいる人の象徴でもあったのかなと。すずめちゃんみたいな人ってきっと沢山いて、自分の傷に向き合ったり蓋したりしながら人生が続いているんだなと思うとグッときました。

(これは深読みしすぎなのでカッコ書きにしますが、お母さんの名前が渡り鳥の「つばめ」だったのは既に常世に渡ってしまったのも表していて、おばさんの「環」は巡る意味を象徴していて、死ぬのは怖くないし常世に行ってくる!って飛び込んだすずめちゃんと現世を繋ぐ存在でもあったのかな、と思います)

 

その他雑感諸々↓

・俳優陣の声が悉く良かった。個人的MVPは完璧に神戸弁を再現している伊藤沙莉asルミさん…!!深津絵里さんは深津絵里さんだということを全く感じなかったし松村北斗さんもエッあれ稔さんやったんか!!となりました。原菜乃華ちゃんは声までキュートでご本人が見えた。神木くんはズルいね?笑 なんとなくこんぱじの彼を思い出しました

・ちかちゃん家で食べてたご飯がめっちゃくちゃ美味しそうですずめちゃんの心理描写的に絶対美味しく見せないといけない場面で気合い入ってんな〜!と思いました

・ドラマばっか見てる人間なのでどうしてもアニメらしいアニメキャラをどう捉えて良いか分からず、ダイジンについては何も書かなかったのですが、ただただ可愛かったね…。一つ言えるとしたら、重石としてずっと働いてきたのに、きっと古来は敬われていただろうに、今は存在すら忘れ去られていたという孤独が彼(?)にもあったのかなと。だとしたらあのエンドのあとに毎年ダイジンに祈りを捧げていてほしいですね…。

 

※以下小説版を読んだ上での追記感想

 そもそもなんですけど6日間の話だったんですね?!?!もっと短いかと思っていた 天地創造って…コトッ…?(天地創造は休みを入れて七日間です)

   上記ブログ感想で「草太はお金を貸したことを忘れていた」と記載したのですが、小説版を読むと忘れてなかったことがわかりました。笑 (映画ではあのセリフありましたっけ…?どうだったかな…?)

    行きの車の中で芹澤に話をする時はすずめのことをきちんと姪という環さんだけど、帰りの道中では「娘がすみませんでした、と手土産を渡した」って書いててほっこりした あと環さんとすずめ24歳差なんですね 次の十二年後に自分を引き取った時の環さんと同じ歳になって環さんの覚悟とかっこよさをすずめがもう一度感じる時がくるといいですね…

   自分の傷を手当てするシーン、改めて読み返すと儀式の前のお清めの意味合いが強いなぁと 制服はある意味神服でもあるんですね(宮崎の後ろ戸を開ける時と同じ格好よね) 岩戸→天岩戸から苗字取ってるらしいのですが宮崎にそういうゆかりの神社があるらしくへぇ〜!!となった 閉じ師は祈りの仕事→裏天皇的な意味合いがあります、って監督が言ってたそうなのですが、天照大神(イコール天皇の祖先)の逸話と併せて考えれば草太さんが常世から出てこれないのもなるほどな感があるよね
 すずめが実家に帰るシーンで、「お母さんがいた時、甘いおやつを作って待ってくれていた」っていうニュアンスの一文があるんですけど、だからすずめ甘党なんや…(フェリーでもドライブ中のSAでも甘いパン買ってますよね)って思って胸がギュッとなった 髪の毛をなんとなく切らないのも含めて4歳が背負っていい業じゃなさすぎるのよ…そしてお母さんは享年34歳だったのか。辛すぎる…
 芹澤のあの車「カブキの先輩にもらった」ってことから、歌舞伎町でバイトしてんの…?となった 学校の先生になりたい目的意識とやってることがすれ違ってますね 笑
 

 

おかえり、と言いたくなるエンターテイメントがあるということ

終わっちゃう…終わっちゃうよぉ…嫌だよぉ…と毎日クソ重感情をぶつけながら見ていた朝ドラ『おかえりモネ』が大円団で最終回を迎えました。


久々に1話から完走した朝ドラだったのですが、本当に(安っぽい言葉で申し訳ないのですが)良いドラマで。改めて感謝の気持ちを伝えたいな、ということからブログを書いています。


私にとって『おかえりモネ』は、写鏡のような朝ドラでした。時に液晶の向こう側から「お前はどうなんだ」と心の深淵をぐわっと覗き込まれているようで、しんっっっっど!!!ってなったり、ゲラゲラ笑ったり顔ぐちゃぐちゃになる程泣いたり、15分という時間でこれだけ心を揺り動かされることってあるんですかね…ってくらい情緒を乱されておりました。笑


モネは大きな括りで見ると被災者、だけどグラデーションをつけると津波を見たり大切な人を失ったりした当事者ではない。彼女は「循環」の性質を持って「水」がモチーフだということはガイドブックなどでも語られていますが、まさに視聴者にとってもそうで、水面に映る自身を見るように、全てのエピソードがfor meだ、とはならなくても、これはわたしのことだ、と思えたり、過去の経験を思い出すようなことが作中で多々ありました。改めて、おかえりモネを作ってくれた全ての方々、本当にありがとうございます。(激重感情)以下はこういうところが好きだよ!という、オタクの拡大解釈です。(読まなくていいです)


・時間の描かれ方
モネで描かれる「時間の捉え方」がとても好きでした。5年って長いですかね、という新次さんの立ち直らないぞという台詞、菅波先生のさまざまな時間制限(これは医者という有限である命を延ばすということを仕事にしている人だからのアレですよね)、サヤカさんの「ゆっくりでいい」と木に語りかける言葉…。その人に流れる時間の大切さや捉え方はそれぞれ違って良い、というメッセージだと解釈していますが、単純に「時間が経ったら全て解決する」というわけでなく、「来るべきが来ないと話せないし解決もしない」という落としどころなのが、人生においても本当にそうで、つい結果が出ないモネのように焦りがちだけど 笑 長い目で大きな心で時間を捉えることの大切さを、たった15分×120話の中で教えてもらった気がします。そして最終回の時間の描かれ方は本当に…私たちへのメッセージでしたね。先生のトンチキさに笑いながらも希望を持たせてくれてありがとう…。


・名前が表すもの
個人的にずーっとおかえりモネは千と千尋の神隠しみたいだな、と思っていて(夏木マリさんが出ているからというのはさておき) 、特にずっと百音がモモネではなくモネだったことが気になっていました。最終週でモネはモモネ+お姉ちゃんという姉属性を含んだ名前だったと知って震えましたね…まさかそっちか…って。モネであることによってどこに行っても地元の呪縛のようなものから逃げられなかった彼女が、最終的に百音さん、と呼ぶ男に出会って少しずつ呪いが解けていったんですよね…。愛…。(曲解)
ちなみに劇中ではりょーちんがみーちゃんにより亮くんになり、神野マリアンナ莉子は仕事のカタルシスにより神野莉子を名乗るようになりますが、こういう細かい書き込みがものすごーく好きでした。

 


ちなみに、千と千尋の神隠しのように自己のアイデンティティを確立すること=おかえり、だと思っていたのですが、「おかえり」と言って「いってらっしゃい」と言える、「循環」を促す人でありたい、というのがおかえりモネの真髄だったのですね。おかえりが言える人でありたい、というモネの願いは地域コミュニティという少し大きめの単位に匹敵するかな、と思うのですが、因数分解していくとそれは家族という単位にも、もしかしたら個人にも当てはまる話で、日々の循環の中で未来を紡いでいくのは、きっと大袈裟なことではなくて日常生活の端々に存在しているのだろう、と私は思っています。


液晶の向こう側のエンターテイメントである「おかえりモネ」が私たちに「おかえり!」と明るく迎えてくれるような、そんな未来をずっとずっと望んでいます。そして私たちもいつか、おかえり、って言える日が来ますように。

支部作品のシェアについてのお気持ち表明

先般こういうマシュマロをいただきました。
お送りいただいたマシュマロ主さん、まずはお気遣い頂きありがとうございました!返信不要とのことでしたが、お気持ち表明のために一部加工して使用させていただきます。すみません。(嫌だったらご連絡ください…) 

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このマシュマロをもらってから、(面倒で)考えることを放棄していた「支部作品をSNSでシェアしていただくことについて」についてもうちょっと深く考えたいな、と思いました。近しい感じのnoteやブログがあればそれをシェアしてお気持ち表明って感じで終えようかなッ⭐︎と思ったのですが、界隈が界隈ゆえに似つかわしいものを見つけることができず、じゃあブログ書くかァ…となった次第です。きちんと自分の気持ちと見つめあう機会をくださり、ありがとうございます。ただ、リクエストいただいている「注意喚起」とは方針が異なると思いますのでご留意ください。また、本ブログは引用等ご自由にしていただいて構いません。

尚、該当アカウントは晒し目的かどうか判断できなかったので、直接DMで当方のお気持ちとお願いをお送りさせていただきました。(いきなりすみませんでした…) ※1


支部作品をSNSでシェアいただくことに関して、色々と考えたのですが


・hnnmジャンルという特性上、公式タグを併用したシェアはなるべく避けていただきたい、棲み分けのお力添えをお願い致します


というのが当方の結論です。


まず、hnnmジャンルのセンシティブさについてはいつもお局仕草の注意喚起でシェアさせてもらってる以下noteの記載に共感しています。


https://note.com/houkouonchi/n/nb6f6503a141a


その上で、支部とそのシェア機能について考えたのですが、


・そもそも支部SNSプラットフォームの一種
・シェア機能がデフォルトで備わっている
・検索避けなどはなされていない


ということから、「シェアはやめてください!」と声高に叫ぶのは違うかな〜と個人的には思っています。


界隈のフォロワーさんたちともよくこういう話をするんですが、「もはやネットに載せている時点でシェア・拡散されてしまっても仕方がない」「自分たちはグレーゾーンの楽しみ方をしている」ということは重々承知しており、ただ自己のクソデカ感情や承認欲求やらの禍々しい気持ちを抱えきれずに創作にぶつけて楽しんでいるんですよね…。
本当に棲み分けしたいのであれば、支部の作品にもジャンル名のタグをつけない、伏せ字のCP名にする等々の対策があるじゃないですか…(ほんまにやばいなというときはそうさせていただいてます)でも基本的にそれをしないのは「できれば同じ志を持ったたくさんの人たちと同じ妄想を共有したい…」というそれに尽きるかな、と思いますので…。あと単純にたくさんの人に読んでもらっているのは嬉しいことです。
さらに、漫画・アニメジャンルでは割とシェア機能がスタンダードということを先日教えていただきました。hnnm界隈に初めて来た、という方はそういう「文化の違い」(って言葉あまり好きじゃないので嫌なんですけどあえて使います)もあるんじゃないかな、と思うし、認知されている母数が多ければ多い作品ほど色んな考えの人が集まるんだな、と個人的には感じています。


わたしもhnnm(主にドラマ)ジャンルに片足突っ込んで7〜8年経とうとしていますが、探り探りやっています。なので、またスタンスが変わることもあると思うし、やっている中で過去のこういう立ち振る舞いはよくなかったな、と学ぶ事もあると思っているので、あくまで現時点でのお気持ちです。SNSが発達した今、公式側も何かしらの指標がほしくてこちら側を眺めているんだろうなぁという意識に日々震えています。お目溢しいただいているという気持ちは忘れずに踊り狂いたいなと思っているオタクなので、そういう人間なんだなってことを受容してお付き合い頂ければ幸いです。人間ってムズカシーッ!

 

※1 今後同様に公式タグ+支部作品で当方の作品をシェアしているのを見かけても、よっぽどでない限りは特段お声がけはしない予定です。また、鍵垢でシェアandお気に入りコレクション的にしてくださるのは問題ないと考えています。でもね、書き手みんなはシェアより感想もらえる方が多分9600423905倍嬉しいんやで、ってことだけここに書いときます(強欲)

ヤクザと家族 - 貧困と反社会的勢力の先にあるもの

Netflixでヤクザと家族が配信されているので見ました。生活柄なかなか映画館に行けないので、こういう新作(もはや準新作なのかな?)を配信してもらえるとすっごくありがたいですね…。以下、ネタバレありきの感想です。

 

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・描かれる貧困、それでも生きていかねばならないしんどさ

はっきりとした舞台は明言されていませんが、(撮影は沼津だったそうですね)工業地帯〜港町の狭間、石油コンビナートが印象的なモチーフとして描かれている最初のシーンで、あぁこれはそういう層を描くんだな、と思いました。行きつけの店が韓国系の「オモニ」って名前だったり、所謂労働者層〜貧困層、移民なんかが多い街なんだなぁと。わたしも出身はそういうところなのでなんとなくの感覚で身についているんですけど、やっぱり反社(ヤクザ)と貧困って切っても切れない関係で、選択肢のない中で生きていこうと思ったら「関わらざるを得ないし、ならざるを得ない場合もある」んだなぁと思いました。別にそういう生き方を選択しなくても生きていけるならいいんですよね…。

 

本作のえぐいところは、そういう前提ありきで生きづらくなっていくひとたちを抉り出してるところだなと。1999〜2005年くらいまではね、景気が悪いとかいいながらもまだ良かったんですよね。クリーンな世の中を作る工程で炙り出されていくというか、古いものはどんどん淘汰されていく描写がすごかったですね。柴咲組は「淘汰された」反社会的勢力だったわけですが、家族愛・義理人情みたいなふんわりラッピングで生きていけるほど世の中甘くなくなっちゃった、みたいな。

 

わたし個人の意見ですが、創作モチーフとしてのヤクザってすっごいイマジナリーというか、なんか浪漫みたいなの詰め込んでくること多くないですか?本作も〜05年までの描写はそんな感じで、なんかいい感じにラッピングされてるけど結局は反社やん…と突っ込みながら見ていました。(特に由香のシーン。身寄りがいない、という一言だけであんな惹かれ合うものなんでしょうか…顔面が綾野剛だったとしても…。余談ですが「ヤクザとヤってしまった…」みたいな描写があったらもうちょっと感情移入できたかも。まぁ歴代の任侠モノって女の人が海よりも心が広く肝が据わっていることが多く、あんまそういうのない気がします) ただ2019年からの描写は凄かった…。負の連鎖を断ち切るために自ら加藤を殺しにいく山本、なんだかんだ優しいんですよね。彼はずっと「自分のため」じゃなくて、「誰かのため」に返り血を浴び続けている…。最後は自分の父親と同じように海に落ちて人生を断ちましたが、刺してきた相手が細野だったのはある意味救いでもあったのだなと思いました。

 

・海に始まって海に終わる連鎖

冒頭ヤクザからクスリを奪って海に撒くシーン、あれは父親への餞だなぁと思ったんですけど、最後の海のシーンは娘からの花束で良かったなと思いました。この映画、貧困・反社の連鎖みたいなのを書いてるのがえぐいポイントだと感じたのですが、家族としての連鎖は書きつつ、「ヤクザの子はヤクザ」のような連鎖は断ち切ろうとしていたのがよかったですね。きっと翼が加藤に復讐していたら彼も半グレから反社に確実になっていたと思うんですよね。どっちにも転ぶ可能性がある中で最後山本の娘と出会えたのはプラスの未来に繋がるんだろうな、と…。インタビューでも「次世代に繋げることを伝えていければ」というメッセージをちらほら見ていたのですが、単純な家族愛みたいなので終わらせなかったのがよかったなぁと思いました。

 

ひとつだけ不満というかよくわからなかったのは、ラストの刺されたシーン、なぜ山本一人で海辺に佇んでぼーっとする暇があったんだろな?ってことです。(警察来てなかったっけ?)小説が出てるらしいから読んだら補完されるのかなぁ。

 

余談ですが、私の好きなエッセイストさんが綾野剛のことを「剛にゃん」と読んでいて、ずっと綾野剛を見るたびに「剛にゃん…」と思っていたのですが、ヤクザと家族の綾野剛が辛いシーンを見るたびに「でも剛にゃんだから…」と自分を慰めていました。ちなみに恋はdeepに!と連続して後半を見たのですが、剛にゃんの演技の振れ幅というか高低差がすごくてなぜかこっちがぐったりしました。いやぐったりしたいのは役者さんだよな、と思いつつ…笑

 

藤井道人監督、ほぼ同世代なので新聞記者も見てみようかなぁと思いました。丁寧にヒリヒリと辛い現実を描く映画、よかったです。

花束みたいな恋をした-分け合うことの難しさについて

映画『花束みたいな恋をした』を見て、ツイキャスでだらだら感想会をしたのですが、文字でも落とし込んでおきたいな、と思ったので久々にブログを書きます。ネタバレありきの記事になると思うので、観賞予定の方はスッと読み飛ばしてくださいね。

 

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・分け合うことの難しさ

坂元作品は、冒頭に主題となるような会話劇を持ってくることが多いと感じているのだけれど、本作も冒頭にイヤホンの件を持ってきていた通り、「恋は1人にひとつ」と、一対一の法則を持ち出しているなと。恋に至るまで、2人は読んでいる小説、イヤホン、パフェ、時にはトイレットペーパー、色々なものや価値観を分け合うのだけれど、同棲を始めて、2人の共有財産が増えていけばいくほど苦しんでいく様がなんとも、「人生を分け合うこと」の難しさを描いているなと感じました。告白のシーンで分け合っていたパフェ、最後のファミレスのシーンではモチーフ的にポップとして背景の一部になってしまっていたのももの悲しかったですね。三十路過ぎた人間としては、同棲の共有財産分与ほどエネルギーを使うものはないよな〜とアホなことを考えていました。

 

・エンターテイメントと共に生きることの難しさ

この映画、正直そこまで恋愛経験のない私にとってはあまり共感ポイントが少なかったのですが、唯一、麦が激務の中、真っ暗な会社でパズドラをし続けるシーンには共感しました。ワンオクを「聴ける」と言った麦が…押井守がいることをそれとなく自分の知っている情報でツウぶって伝えてくる麦が…好きな言葉を「バールなようなもの」と言ってくる麦が…(この辺でやめます 笑)わたし個人の経験談なのですが、激務すぎるとマジで脳に余白がなくなっちゃうんですよね。パズドラ好きな方にめっちゃ失礼ですけど、あんまり頭を使わなくて良くなるような趣味しかできなくなるからスマホのゲームしちゃうんですよね。社会人になって2年くらい、好きだった小説や漫画を読めなくなっていたことを思い出してウッ…となりました。

 

・選択できる年齢と、2015年前後の空気感

2人は恋に落ちて別れるわけですが、まぁこの選択肢も、(年齢のことをとやかくいうのはどうかという話もあると思いますが)30さしかかりくらいだったら最後のファミレスのシーンで妥協してただろうな〜と意地悪なことを考えてしまいました。2人、サブカルが好きだけど社会システムに迎合しちゃうタイプだと思うので…。(靴の演出が絶妙でしたよね。真っ白なスニーカーから真っ黒な靴に染まるという)

絹と麦がゆるゆるとフリーターで社会に出て同棲するシーン、正直(この人たちの…生活費はどこから…?なぜこんなゆるふわなの…?)と思ってしまったのですが、絹は実家が太そうな描写、麦は仕送りをもらっていたという描写があってすごく合点がいきました。サブカル、やっぱ心と生活にゆとりがないと成り立たない説。

ちなみに絹の就活描写を見ていて思ったのは、2015年前後は景気が回復してきていたのも相まって、そこそこ選択肢があった時代だと思うんですよね。そこでフリーターを選んだ絹、やっぱりバックボーンが「首都圏に実家あり、両親共働き、おそらく次女」というところにあるからだなぁと思いました。すごく偏った見方なのでここはもう掘り下げませんが…。

 

・キャスティングが絶妙すぎた説

この映画のずるいところは、キャスティングがとにかく上手い!例えば絹が転職するキッカケとなる人物はオダギリジョーで、「いや〜そこにオダジョー持ってきたらみんなそっちにいくっしょ!!!」ってマスクの下でニヤニヤした。余談ですけど絹絶対お前オダジョーと浮気してたやろ。ラーメン食べにいくは隠語ですよね。そのあとの時系列からも絶対そういうことあったやろ感がすごい。

そして最後のファミレスのシーンで清原果耶ちゃんですよ。まぁその…説得力がすごいな!?と思ってしまいました。染まっていない純白感がすごい。そしてあの起点にキャスティングした人マジで天才だと思う。

 

・救いのあるエンディングと、延長線を感じる余白

この映画で一番いいなと思ったのはエンディングで、Googleストリートビューに2人の姿が載っていて麦が興奮する、というので終わるのですが、今後の2人の未来を予見させるような余韻のあるエンドでよかったな〜と思いました。2人、復縁しなくてもまた人生のどこかで交わることがありそうだな、と。

終わってからすごく思ったのが、「もし2人が同性だったらどんな話になったのだろう」ということです。お別れすることなく一緒にいれたのかなとも思いますし、2人が同性だったらそもそも同族嫌悪感で一緒にいなかったのかな、とも。笑 あと「もし、2人が全く価値観の合わない男女だったら」とも考えたのですが、それはカルテットの巻夫妻で描かれていましたね。笑

 

まぁ色々と書いたのですが、Twitterでは「恋人同士では見ない方がいい」という呟きをたくさん見たのですが、逆にこの映画を見て価値観を分け合った方が良いのでは…?と思いました。個人的には麦くんがいつ白ジーンズを履くのかヒヤヒヤしていたのですがそんな描写はなく良かったです。あと、音楽が絶妙に良いんですけど、クレジットで「あまちゃん」を手がけていた大友良英さんと知ってすごく嬉しかった!

映画館に足を運ぶことがあったら、みなさんぜひ感想を教えてくださいな。

インターネットの友人たちの話

インターネット、という世界に片足突っ込んで十数年が経とうとしている。元来の自身のオタク気質と父親が割とネットに明るい人間だったというところから、お絵描き掲示板や自作HP、コミュニティサイトや某巨大掲示板含め、比較的小さい時からネットで人と交流していたが、「インターネットの中にいる人」と実際にお会いするようになったのはTwitterを始め、社会人になった頃だったと思う。10代の頃は「ネットは怖いところ」と叩き込まれていたし、ネットで知り合った人と会うだなんて思いつきもしなかった。中学生の時、幼なじみがネットで知り合った人と遊んだと聞いた時、なんて恐ろしいことをしているんだ!と恐怖に慄いた事をはっきりと覚えている。おそらく相手は成人男性だったようなので、次からは会わない方がいいよ、とおせっかいを言ったのも記憶しているが、まさか数年後自分がそこそこの頻度で「オフ会」と称されるものだったりそうでなかったりする集まりで色々な人と出会っていると知ったら、思春期のわたしはどう感じただろうか。

ネットを介して出会う人は様々であるが、基本的には「趣味が同じ」(わたしの場合、二次創作のCP沼が同じ)というきっかけが多い。(ちなみに育児垢界隈だとオフ会のハードルが結構下がるのはやはり子というコンテンツがあるからかしら、と思っている。あまり表現は良くないが) 複数人で会うこともあれば1on1のこともあり。数回お会いしたことのある方もいれば一回会ったきり、の方もいる。ただ、複数回お会いしていくと、(そういえばこの方と知り合ったきっかけってなんだっけ…?)となるくらい共通項が多かったり、逆に全く違う方向を向いていたりするのが面白い。

もう一つ面白いなぁ、と思うのが、自分の人生の一部がたまたまインターネットの、Twitterという媒体を通して他の人の人生と交わっているところで、肩書きも住んでいるところも年齢も違う人と生身で話している時、自分がTwitterのアカウントのアバターになったかのような感覚にさえ陥る。そんな現実と虚構が入り混じったかのような、不思議な感覚を過ごした後でまたインターネット上でコミュニケーションをとったりするのだけれど、やはり泡沫の世界なので、それきりネットでもお会いできなくなったりすることもある。たまにふらっと帰ってきたり、運が良ければまた違うジャンルでばったりお会いしたりと様々なのだけれど、大概はなかなかお会いできないことが多い。個人的には、インターネットは自由選択の世界だと思っているので、寂しいと言う権利はないかな、と思っているのだけれど、時々お会いした方の今の人生に想いを馳せる夜があったりもする。あの頃、あの人は結婚したばかりだったけど、そういえばその後どうかしら、とか、一緒にライブに行ったアーティストの新譜を聞いて、あの人はどう思っているかしら、等々。気持ち悪い、と言われるかもしれないけれど、そこは目を瞑ってアホだな、と笑って欲しい。

時々、インターネットの交流にも年賀状の文化があればいいのにな、と思う。最近はお見かけしないけれど、今こんなことしてるよ、と年一回くらいは報告を送ったり貰ったりできるような。「そっか、じゃあまたね」と、波の狭間で手旗信号を送りあえるような。ひとり、知り合った素敵な方がそういうことをたまに送ってくれるのだけれど、わたしはいつもその信号を大事に大事に、まるで無人島に漂着した手紙のように眺めているのであった。